
「吉田幸生と遊ぼう会」2015年9月23日@東京渋谷サラヴァ東京(チラシはこちら★)
この日は夕方4時から夜の8時半まで。一人20分やります。演奏時間だけでも3時間半オーバー。もちろんどっぷりと4時間半濃密な時間に浸っていただきたいのですが、皆様のご都合も考え、出入り自由にしました。疲れたら外に出て休む。お目当ての歌手だけ聴く、などなど、自分なりの楽しみ方も可能なコンサートとなっています。以下、詳しく説明していきます。お付き合い下さい。
その1(成り行き)
今回降って湧いた上京の機会は大阪のシャンソニエ「サロンダコール」のママが東京で一勝負かけたいと仕掛けた、9月21日、内幸町ホールを舞台に、大阪のレギュラーメンバーが東京在住の大御所:須美杏子さんをゲストに迎えて繰り広げる「初秋によせて」コンサート(チラシはこちら★)。上京する機会は今までも年1回はありましたがスケジュールの都合でトンボ返りがほとんど。なのに今年に限って1週間仕事が決まってない(今年3月の時点)。もしかしたら面白い事が出来るかも?!と、色々画策し、23日に焦点を当ててお目当ての歌手の皆さんに声をかけたところ、見事全員が調整無しで「空いてます」!。奇跡のように揃ったのでした。こんなことはもう二度と無いでしょう。そういう意味で、これは二度と出来ないイベントです。
その2(出演者紹介)
木谷有里
須山公美子のマネージャーとして知り合った岸田コーイチとは、程なくして様々な仕事をしていく事になるが、中津ミノヤホールでの毎月企画「シャンソンDAY」に続くミッションは十三レッドライオンでの音やかんセッション。ふなとひろし、西野欣哉、平松加奈、田村賢一とのバンド編成で毎月様々なボーカリストのサボートをするという、毎回全曲新曲状態の過酷さ。そんなある回、三味線ケースを肩に、ひょいと横浜からやってきたのが、民謡娘、木谷有里。その時以来、いや、15年前に一度新宿で再会セッション(その時はピアノだけで)してるな。そんな訳で久々の、この二人ならではの民謡コラボレーションをお楽しみ下さい。
Dragon Emillita
須山公美子
ある日ベコーのオーディションに受かった新人さんとして須山公美子と出会う。その時驚いたのが「行かないで」。ジャックブレル作、創唱の名曲だが、この歌をなんとサビから4分の5拍子で歌うのだ。別に奇をてらった訳ではなく、それが彼女にとっての自然。そんな彼女の繰り広げる様々なプロジェクトに色々お付き合いさせて頂いてもう27年。年もほとんど同じ、盟友というか戦友というか、そんな仲。
海江田 文
とあるシャンソン歌手の、ちょっと変わったお弟子さんとして知り合った彼女。一世代下の、その斬新なアンテナにいつしか引き込まれ、面白い曲に色々取り組ませて頂いた。ユニットとしてオリジナル曲を発表していた時期もある。彼女が詩を書き僕が曲をつける、一月で4曲5曲と量産していた。時は流れ、そろそろ中堅シャンソン歌手として歩む彼女のアンテナは、しかし錆びてはいない。
そんな二人が、それぞれ堪能なフランス語と飛んだ感性で組んだ珍ユニット「ドラゴンエミリータ」もベコーと宝塚パリ祭だけで活動してもう3年。その専属伴奏者として、そろそろここらで外の空気にあててやろうじゃないか、と今回思ったわけであります。
伊藤ともん
和歌山出身の歌手サラちゃんの橋渡しで初お手合わせは2年前のライブ。久々に出会った逸材感たっぷりの手応えでした。聞けば新橋で長年お店を盛り立ててきたという、その経営手腕も確か。そんな彼があれよあれよと言う間に大阪に引っ越してきて、こちらで活動開始という。これは楽しい出来事でした。色々と芸達者な彼ですが、竹下ユキに師事していたり、井関真人さんとも一からみあったり、と並々ならぬご縁を感じる今日この頃。今後に乞うご期待です。
ソワレ
実はシモーヌ深雪のお友達として出会った頃は、線の細い印象でした。そんな彼があれよあれよと言う間に、新宿ゴールデン街に次々と店は出すわ、CDは出すわ、青い部屋のプロデュースをするわと、八面六臂の活躍ぶりなのを知ったのが5年ほど前かな?実に魅力的な歌手としても大変貌を遂げていました。 いや、知らなかっただけかな?。今回も、憧れのピエールバルーさんプロデュースの店で、と会場を選んだら、なんと、そのサラヴァ東京の経営も引き受けてるではありませんか?どんだけー!
ともんくん、ソワレくん、二人とも、体壊さないようにね。
RIO(如月 伶生)
20年前、阪神大震災後の関西シャンソン界に一羽の白鷺のように舞い降りた、それまでいなかったタイプの「ビジュアル系」男性?歌手リオくん。今ではすっかり東京での活動中心の彼ですが、その頃、専属マネージャー兼作詞家の摩耶麗子さんから持ち込まれた「中原中也を歌う」企画は、僕の作曲人生の中でもエポックメイキングな出来事でした。本屋で詩集を買い求め、パラパラっとめくった目に飛び込んできた「汚れつちまつた悲しみに」。一瞬でメロディが浮かびました。それ以来様々なプロジェクトを共に歩ませてもらいましたが、その中心にあったのは、摩耶麗子から送り込まれてくる渾身の作詞、それに僕が全力で曲をつける、事でした。名曲がたくさん生まれたと自負しております。
シモーヌ深雪
「ドラァグ(薬の意味ではない)クイーン」とは、分厚いメイクとド派手な衣裳でパフォーマンスする人々(本質的にはアレは女装ではなく、実は男女も関係無いのだそう)だが、日本における第一人者がこの人、シモーヌ深雪。もう長い間カラオケ(口パクが主)パフォーマンスしかしていなかった彼を、岸田コーイチがライブ出演に誘ったのが27年前。それ以来のお付き合いである。最初の10年でライブ歌唱用のレパートリー200曲は仕込んだだろうか。毎回のライブが全曲新曲だった。今回はそんな中から、カナダの歌姫ディアーヌデュフレーヌのナンバーなどご披露頂けるようだ。
八木啓代
彼女と初めて組んだのは岸田コーイチ企画。神戸のサロンドあいりで、ギターの西本さんとだったかな?一言で言って才女。しかも行動派。ものすごい行動力です。Wikipediaにも載っています。そんな彼女の歌は今や、メキシコのミュージシャンたちが彼女に捧げたオリジナルが中心です。中でも「Para Un Angel」の曲の美しさときたら。今回も歌って頂きます。他、シャンソン歌手が取り上げる歌も斬ってもらいます。ところで実は30年前、フォルクローレグループ「ソルナシエンテ」のメンバーとして京都の巴里野郎に出演していた彼女とは、その頃ニアミスしているはずなのです。
竹下ユキ
彼女は「1989年の日本アマチュアシャンソンコンクール(第5回?)優勝記念」ライブで巴里野郎にやってきました。「行かないで」の伴奏で意気投合、それ以来同い年のお友達として、じわじわと交流を暖めてきました。新米シャンソンピアニストとして悩み多かった時代、彼女がその頃取り組んでいたレパートリー、例えばラベルのボレロしかり、ケイトブッシュしかり。シャンソンも(左記はシャンソンじゃないですが)音楽。今まで身につけた感性に蓋をしなくても良いのだ、と大いに励まされました。お互い背中を押し合いながら、これからも歩んで参りましょうか、ユキさん。
友部裕子
約25年前、確か熊谷さんという方が主催されて、大阪梅田でクリスマスの一週間、毎晩日替わりで東京のベテラン歌手を招く、というシャンソンピアニストの新米としてはかなり荷の重い仕事が舞い込みました。必死でこなした記憶がおぼろげに。その中でも面白い、変わった、しかしシャンソンの真髄なレパートリーを歌う友部裕子さんを京都の巴里野郎に紹介したのは、僕です。マスター宮本さんに一発で気に入っていただき、それから毎月3日間東京から呼ぶ、それにお付き合いする、という日々が約3年間続きました。採算度外視で招き続けてくれた宮本さんには感謝の念しかありませんが、緊張と至福の日々でした。
瀬間千恵
大阪中心にシャンソン啓蒙活動を繰り広げた、今は亡き合掌一朗さんが、梅田の麻雀ハウスにグランドピアノを入れて毎週シャンソンライブを行った、そこで大御所の瀬間千恵さんの伴奏を初めてさせて頂いてもう20年。それ以来色んなお仕事に引き立てて頂きました。なかでも名古屋の老舗シャンソニエ「エルム」での年4回のライブはずっと途切れる事なく続いたのですが、とうとうこの8月を最後に今後は未定、となりました。寂しい事です。この人がいなかったら、日本のシャンソン界に「海賊の花嫁」は広まっていなかっただろう。もちろん功績はそこにとどまらず。今日出演のシャンソン歌手たちは、みんなあなたの子供達なのです。あなたの差し出したバトンを受け取る者が、ここにこれだけいますよ、と。そういう意味もこめました。
この日は夕方4時から夜の8時半まで。一人20分やります。演奏時間だけでも3時間半オーバー。もちろんどっぷりと4時間半濃密な時間に浸っていただきたいのですが、皆様のご都合も考え、出入り自由にしました。疲れたら外に出て休む。お目当ての歌手だけ聴く、などなど、自分なりの楽しみ方も可能なコンサートとなっています。以下、詳しく説明していきます。お付き合い下さい。
その1(成り行き)
今回降って湧いた上京の機会は大阪のシャンソニエ「サロンダコール」のママが東京で一勝負かけたいと仕掛けた、9月21日、内幸町ホールを舞台に、大阪のレギュラーメンバーが東京在住の大御所:須美杏子さんをゲストに迎えて繰り広げる「初秋によせて」コンサート(チラシはこちら★)。上京する機会は今までも年1回はありましたがスケジュールの都合でトンボ返りがほとんど。なのに今年に限って1週間仕事が決まってない(今年3月の時点)。もしかしたら面白い事が出来るかも?!と、色々画策し、23日に焦点を当ててお目当ての歌手の皆さんに声をかけたところ、見事全員が調整無しで「空いてます」!。奇跡のように揃ったのでした。こんなことはもう二度と無いでしょう。そういう意味で、これは二度と出来ないイベントです。
その2(出演者紹介)
木谷有里
須山公美子のマネージャーとして知り合った岸田コーイチとは、程なくして様々な仕事をしていく事になるが、中津ミノヤホールでの毎月企画「シャンソンDAY」に続くミッションは十三レッドライオンでの音やかんセッション。ふなとひろし、西野欣哉、平松加奈、田村賢一とのバンド編成で毎月様々なボーカリストのサボートをするという、毎回全曲新曲状態の過酷さ。そんなある回、三味線ケースを肩に、ひょいと横浜からやってきたのが、民謡娘、木谷有里。その時以来、いや、15年前に一度新宿で再会セッション(その時はピアノだけで)してるな。そんな訳で久々の、この二人ならではの民謡コラボレーションをお楽しみ下さい。
Dragon Emillita
須山公美子
ある日ベコーのオーディションに受かった新人さんとして須山公美子と出会う。その時驚いたのが「行かないで」。ジャックブレル作、創唱の名曲だが、この歌をなんとサビから4分の5拍子で歌うのだ。別に奇をてらった訳ではなく、それが彼女にとっての自然。そんな彼女の繰り広げる様々なプロジェクトに色々お付き合いさせて頂いてもう27年。年もほとんど同じ、盟友というか戦友というか、そんな仲。
海江田 文
とあるシャンソン歌手の、ちょっと変わったお弟子さんとして知り合った彼女。一世代下の、その斬新なアンテナにいつしか引き込まれ、面白い曲に色々取り組ませて頂いた。ユニットとしてオリジナル曲を発表していた時期もある。彼女が詩を書き僕が曲をつける、一月で4曲5曲と量産していた。時は流れ、そろそろ中堅シャンソン歌手として歩む彼女のアンテナは、しかし錆びてはいない。
そんな二人が、それぞれ堪能なフランス語と飛んだ感性で組んだ珍ユニット「ドラゴンエミリータ」もベコーと宝塚パリ祭だけで活動してもう3年。その専属伴奏者として、そろそろここらで外の空気にあててやろうじゃないか、と今回思ったわけであります。
伊藤ともん
和歌山出身の歌手サラちゃんの橋渡しで初お手合わせは2年前のライブ。久々に出会った逸材感たっぷりの手応えでした。聞けば新橋で長年お店を盛り立ててきたという、その経営手腕も確か。そんな彼があれよあれよと言う間に大阪に引っ越してきて、こちらで活動開始という。これは楽しい出来事でした。色々と芸達者な彼ですが、竹下ユキに師事していたり、井関真人さんとも一からみあったり、と並々ならぬご縁を感じる今日この頃。今後に乞うご期待です。
ソワレ
実はシモーヌ深雪のお友達として出会った頃は、線の細い印象でした。そんな彼があれよあれよと言う間に、新宿ゴールデン街に次々と店は出すわ、CDは出すわ、青い部屋のプロデュースをするわと、八面六臂の活躍ぶりなのを知ったのが5年ほど前かな?実に魅力的な歌手としても大変貌を遂げていました。 いや、知らなかっただけかな?。今回も、憧れのピエールバルーさんプロデュースの店で、と会場を選んだら、なんと、そのサラヴァ東京の経営も引き受けてるではありませんか?どんだけー!
ともんくん、ソワレくん、二人とも、体壊さないようにね。
RIO(如月 伶生)
20年前、阪神大震災後の関西シャンソン界に一羽の白鷺のように舞い降りた、それまでいなかったタイプの「ビジュアル系」男性?歌手リオくん。今ではすっかり東京での活動中心の彼ですが、その頃、専属マネージャー兼作詞家の摩耶麗子さんから持ち込まれた「中原中也を歌う」企画は、僕の作曲人生の中でもエポックメイキングな出来事でした。本屋で詩集を買い求め、パラパラっとめくった目に飛び込んできた「汚れつちまつた悲しみに」。一瞬でメロディが浮かびました。それ以来様々なプロジェクトを共に歩ませてもらいましたが、その中心にあったのは、摩耶麗子から送り込まれてくる渾身の作詞、それに僕が全力で曲をつける、事でした。名曲がたくさん生まれたと自負しております。
シモーヌ深雪
「ドラァグ(薬の意味ではない)クイーン」とは、分厚いメイクとド派手な衣裳でパフォーマンスする人々(本質的にはアレは女装ではなく、実は男女も関係無いのだそう)だが、日本における第一人者がこの人、シモーヌ深雪。もう長い間カラオケ(口パクが主)パフォーマンスしかしていなかった彼を、岸田コーイチがライブ出演に誘ったのが27年前。それ以来のお付き合いである。最初の10年でライブ歌唱用のレパートリー200曲は仕込んだだろうか。毎回のライブが全曲新曲だった。今回はそんな中から、カナダの歌姫ディアーヌデュフレーヌのナンバーなどご披露頂けるようだ。
八木啓代
彼女と初めて組んだのは岸田コーイチ企画。神戸のサロンドあいりで、ギターの西本さんとだったかな?一言で言って才女。しかも行動派。ものすごい行動力です。Wikipediaにも載っています。そんな彼女の歌は今や、メキシコのミュージシャンたちが彼女に捧げたオリジナルが中心です。中でも「Para Un Angel」の曲の美しさときたら。今回も歌って頂きます。他、シャンソン歌手が取り上げる歌も斬ってもらいます。ところで実は30年前、フォルクローレグループ「ソルナシエンテ」のメンバーとして京都の巴里野郎に出演していた彼女とは、その頃ニアミスしているはずなのです。
竹下ユキ
彼女は「1989年の日本アマチュアシャンソンコンクール(第5回?)優勝記念」ライブで巴里野郎にやってきました。「行かないで」の伴奏で意気投合、それ以来同い年のお友達として、じわじわと交流を暖めてきました。新米シャンソンピアニストとして悩み多かった時代、彼女がその頃取り組んでいたレパートリー、例えばラベルのボレロしかり、ケイトブッシュしかり。シャンソンも(左記はシャンソンじゃないですが)音楽。今まで身につけた感性に蓋をしなくても良いのだ、と大いに励まされました。お互い背中を押し合いながら、これからも歩んで参りましょうか、ユキさん。
友部裕子
約25年前、確か熊谷さんという方が主催されて、大阪梅田でクリスマスの一週間、毎晩日替わりで東京のベテラン歌手を招く、というシャンソンピアニストの新米としてはかなり荷の重い仕事が舞い込みました。必死でこなした記憶がおぼろげに。その中でも面白い、変わった、しかしシャンソンの真髄なレパートリーを歌う友部裕子さんを京都の巴里野郎に紹介したのは、僕です。マスター宮本さんに一発で気に入っていただき、それから毎月3日間東京から呼ぶ、それにお付き合いする、という日々が約3年間続きました。採算度外視で招き続けてくれた宮本さんには感謝の念しかありませんが、緊張と至福の日々でした。
瀬間千恵
大阪中心にシャンソン啓蒙活動を繰り広げた、今は亡き合掌一朗さんが、梅田の麻雀ハウスにグランドピアノを入れて毎週シャンソンライブを行った、そこで大御所の瀬間千恵さんの伴奏を初めてさせて頂いてもう20年。それ以来色んなお仕事に引き立てて頂きました。なかでも名古屋の老舗シャンソニエ「エルム」での年4回のライブはずっと途切れる事なく続いたのですが、とうとうこの8月を最後に今後は未定、となりました。寂しい事です。この人がいなかったら、日本のシャンソン界に「海賊の花嫁」は広まっていなかっただろう。もちろん功績はそこにとどまらず。今日出演のシャンソン歌手たちは、みんなあなたの子供達なのです。あなたの差し出したバトンを受け取る者が、ここにこれだけいますよ、と。そういう意味もこめました。
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